2011年4月29日金曜日

「取り出す価値のある石油」の残りはどのくらい?


私たちは、一体、あとどのくらいの石油を使うことができるのでしょうか。この問いは、昔から繰り返し問われてきた、ある種古典的な問いだとも言えます。

この古典的問題を考えるにあたっては、一見関係がなさそうな上のイラストを理解することが有用です。このイラストは、「ラビット・リミット」として知られています。

ウサギ狩りをする時に、「深追い」をし過ぎて、ウサギから得られるエネルギーよりも多くのエネルギーを消費してウサギを捕まえたところで、生命を維持することはできません。

家で待つ妻がいる場合は、1羽のウサギから2人分のエネルギーを得なくてはいけないので、半分の距離でウサギを捕まえなくてはいけません。大家族が待つならば、追ってウサギを捕まえて意味のある距離はさらに短くなります。

つまり、食糧となるウサギが何羽残っているのかという「量」が問題なのではなく、そのウサギがエネルギー効率的に捕まえるだけの意味を持っているのかという「質」が重要だということです。

エネルギーも同じことです。エネルギーを自然界から取りだして、私たちが使える形にするためにもエネルギーが必要なのです。

私たちは、ついつい「あとどのくらいの資源が残っているのか」という「量」ばかりを考えてしまいがちです。でも、「深追い」しすぎて、取りだした資源が持っているエネルギーの量よりも多くのエネルギーを使ってしまっては、その資源にもはやエネルギーとしての価値はありません。

したがって、本当に問われなければいけないのは、エネルギーの「量」ではなく、その「質」なのです。

現代文明を支えている石油の場合、その埋蔵量は多く、9兆バレルとも10兆バレルとも言われています。しかし、「深追い」し過ぎては、仮に石油を取り出せたとしてもエネルギー的な意味はありません。

実際のところ、「ラビット・リミット」的に考えて、取り出すだけの価値がある石油は全部で約2兆バレルほどだと見積もられています。そのうち、我々人類は、すでに約1兆バレルを消費してしまいました。残りは約1兆バレルです。それも、これまでよりも「深追い」しなくてはならない、「取り出しにくい」石油です。

ちなみに、1兆バレルとは、富士山を升に見立てると、その約10%ほどの量になります。「安く大量に石油があった時代」は終わりを告げ、これからは「高く貴重の石油の時代」に私たちは突入しようとしているのです。